「たしかな日本を次世代へ」 衆議院議員秋田3区 みのり川信英
基本政策

01農林水産業
今こそ、土に立ち、土に生き、土を譲る政治を
- 「食料・農業・農村基本法」に明記された、「米の合理的な価格形成」を実現し、先行きの見通せる持続可能な農業を確立するとともに、農林水産予算の大幅な増額を目指します。
- 現場の声を大切にし、農地の集積・集約化、スマート農業の普及、6次産業化、生産・流通コスト削減などを進め、労働環境改善生産性向上により魅力あふれる産業に前進させていきます。
また、給食費無償化を進め、学校給食への国産品・県産品の利用促進を図ります。

02経済・地方創生
秋田の潜在力を引き出す
- 賃上げの流れを確かなものとするとともに、物価高騰時などには機動的に対策を講じていきます。
- 洋上風力、地熱、太陽光、バイオマス・水素など「新エネルギー県・秋田」の滞在力を生かし、脱炭素社会やデジタル社会などに関わる新産業への投資を呼び込み、経済活性化を図ります。
- 国内外に「あきた」を徹底的にPR。宿泊施設の整備・拡充を後押しし観光客、宿泊者を増やします。

03社会保障
子どもから高齢者まで安心を
- 国民皆保険、国民年金の堅持はもちろん、医療・介護制度を充実させるとともに、障害のある方が自立して暮らせるシステムを構築し、誰もが安心して生活できる地域づくりを進めます。
- 待機児童の解消、教育に関する負担軽減、女性活躍政策、働き方改革などを進め、安心して子どもを産み育てられるようライフステージに応じた働きやすい環境を整備します。

04安心安全
国民の命を守る
- 命と暮らしを守る道路・トンネル・河川・ダムなどインフラの整備・改修を速やかに進め、防災・減災・国土強靭化により美しいふるさとを守ります。
- 気候変動による災害のリスク増大に備え、計画的に防災インフラの整備・管理を行う事前防災対策を促進。自治体と一体となり避難計画の充実、訓練・意識向上などに取り組みます。資機材の充実、物資輸送の確保など、発災後の迅速な対応力の強化も図ります。
- 地域の守り手である建設産業の担い手確保・育成をしっかりと進めます。

05外交・安全保障
わが国の主権と名誉を守る
- 米国はじめ普遍的価値を共有する国々との緊密な連携を図り、国益を最優先に毅然とした外交を展開。国際社会の諸課題に対して適切に対処します。
- 厳しさを増す安全保障環境の中、防衛力を抜本的に強化し、いかなる場合にも国民を守り切る態勢を整備。わが国の主権や名誉はもちろん、資源・土地・技術・情報を断固として守り抜きます。
- 在留管理の適正化や、税・社会保険料未納付防止、土地取得制度の見直しなどを進め、違法外国人には厳格に対応します。
政治信条
私は、当選7期で培った経験、財務副大臣、国土交通副大臣、農林水産委員長等の経験を活かし、国家の財政のみならず、ふるさと秋田の経済再生に努めてきました。
秋田創生は、今まさに軌道にのろうとしています。 秋田でこの成果を実感してもらうことが私の役目であり、仕事であります。
秋田の皆様の声に真摯に耳を傾け、秋田に活力を創生し、暮らしを豊かに変える、一緒に「誇れる秋田、元気な日本」を創りだしましょう。
いま私たちの目の前には、数多くの課題が山積しています。国家の財政、地方の疲弊、社会保障の持続可能性、農業の将来、景気、外交…比較的短い時間のなかで解決や改善ができる課題もありますが、私たちの世代だけでは解決することができない課題も少なくありません。
しかしながらそれらの諸課題の大きさや深刻さに圧倒され、悲観主義や刹那主義に陥ってしまうことは、我々自身の責任を放棄するばかりか、将来この国や地方を支えていく若い世代に課題を先送りすることに他なりません。
私たちの社会はますます複雑化し、多様化しています。そのような環境の下で、政治が全ての人を満足させる解答を出すのは決して簡単なことではありませんが、私は自らの政治的な決断や実行がいかに「公正」であるかについて、常に自問自答することを自分に課して行きたいと思います。
また私は、自分が生まれ育った故郷や日本という祖国に誇りを持ち、その歴史と伝統に対しては畏敬の念を忘れずに政治に取り組むということは、国内の諸課題を議論する礎であるのみならず、外交に関わる際の必要不可欠な精神であると確信しています。先人の残してくれた足跡に感謝の念を忘れず、新たな政治の地平を切り開いていく決意であります。
そのような理念を携えながら、現実の政治の場においては決断と実行を自らの政治信条として、結果を出す政治家として評価いただけるよう精進してまいります。
御法川 信英
御法川信英の歩み― 「異文化への憧れ~政治家への道」
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誕生~幼少期
1964年(昭和39年)5月25日、父・英文、母・憲子のもと、体重4,000g、三人兄弟の長男として誕生。
当時ではまだ珍しかった海外視察で南米に出かけた父は、外国の風物を撮った写真を土産に帰国。「これから日本が海外と渡り合うためには、外国語の習得が必要だ」と、海外視察で刺激を受けて帰国した父の言葉に影響を受けて、おさな心にも異国への興味をもつ。土産の写真やアルファベットの絵本、地球儀を飽きずに眺めていた。また大好きだった動物図鑑を見ては、新聞折り込みチラシ裏面(当時は裏面が白紙の物もあった)に動物を模写、大型動物の絵を部屋の壁一面に描き叱られた記憶もある。 -
学生時代
中学時代は、厳しいながらも指導熱心な恩師の影響を受け、英語学習に熱中する日々を送った。全国英語弁論大会にも出場。そのころ、大曲市(現・大仙市)とドイツの交流が始まり、海外派遣選考の機会を得たが最終的には選考にもれた。それを機に一層、海外への憧れや興味を募らせた。
高校時代は、留学より帰国した同級生の話に関心をもち、「いつか自分も留学を」と海外への夢を膨らませた。
大学3年時は、1970年代後半のバックパッカーブームを牽引した本、『地球の歩き方』の影響を受け、待望の海外ひとり旅を果たす。この初めての旅行では、代理店から他人の復路便チケットを間違って手渡され出発するというハプニング(旅先で出会い無事交換)もあった。そして初旅行から20年後、その相手と東京駅で遭遇するという驚きと喜びのハプニングがあった。 -
就職~留学
大学卒業後、地元に戻り秋田銀行に就職。秋田駅前支店に配属され、出納係や近くの秋田市民市場へ両替金を届けるのが、最初に担当した仕事であった。
銀行を退職し、1989年夏、カリフォルニアに初留学。帰国後、父の私設秘書を務めるが1997年再渡米、コロンビア大学国際公共政策大学院で学ぶ。この時は、住居を手配しないままニューヨークへ旅立つ。現地到着後、住居が決まるまでは友人宅へ居候と、かなり無謀(無計画!?)な留学生活のスタートとなった。 -
秘書時代~初当選
大学院修士課程修了後、帰国。帰国後は、父の公設秘書を務める。2001年初代総務委員長を務めた父に伴いアメリカ、カナダへ。アメリカではNYで世界貿易センタービル(当時)を訪問。帰国して間もない9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が勃発した。
2003年4月、国会議員在任13年4カ月で父・英文が病により死去。喪主としての葬儀の挨拶で、自然と口をついて出たのは参列者への感謝の気持ちと出馬への熱い思い、そして出馬を誓う言葉であった。
2003年11月9日、第43回衆議院議員総選挙で初当選。推薦状は、わずか7枚。組織的な支援のない中で挑んだ戦いであったが、地元秋田と国際社会への貢献を誓い、奇跡的ともいわれる勝利を収めた。
